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29 teams and ONE – Phoenix Suns

Suns’ History


  とりあえず引っ越し記事と暗黒の2008-09シーズンを置いておきますが、徐々に拡充していく予定です。どちらも暗い話題ですが、今だからこそ楽しめると思います。

特集
BEAT S.A. – サンズ対スパーズ、因縁の歴史

シーズン
2008-09: Shaq & Porter – 失われた1年





Shaq & Porter – 失われた1年



-SUMMER (May-Sep)-

  HCのマイク・ダントーニが「フロントの支援が得られない」として退陣を希望し、HC探しからこの年のオフは始まった。前年、長らく不足していたビッグマン、それもかつてリーグで最強を誇ったシャックを獲得。それにも関わらずスパーズには勝てない―ならば、ディフェンス。ダントーニでは教えることが出来なかったディフェンスを強化すれば、ナッシュのオフェンス、そしてシャックにアマレという無敵を誇るインサイドのコンビネーションは向かうところ敵無しではないか。そう考えたサンズフロントはダントーニとの契約を打ち切っただけでなく、アシスタントコーチ陣もほぼ全員を入れ替えてディフェンスの強化を図った。HCはテリー・ポーター(Terry Porter)。かつてチームを2度ファイナルへ導いたブレイザーズのレジェンドPG。バックスでのHC経験があり、当時ディフェンスで最強を誇ったピストンズのチーフACだったポーターを起用したのはまさに「ディフェンス重視」と「優勝を狙う」いう姿勢の表れだった。

  ドラフトでは、サンズはアトランタから一巡目指名権をジョー・ジョンソンのサイン&トレードの際に譲り受けており、これが14位指名権となった。まずこの14位指名権でかねてから予定していたロビン・ロペス(Robin Lopez)を指名。ネッツから10位指名を受けたブルック・ロペスとは双子の兄弟。ディフェンスがいいという触れ込みだったロペスをとったのは、シャックの控えとしてのポジションを任せるためだろう。シャックは高齢であるため控えセンターとはいえ出場機会は多くなるだろうし、そもそもシャックの後継としてシャックの教育を受けておくという意味合いもあったため14位指名権を使うのは妥当というのが当時の評価。

  他に持っていた48位指名権は、もともと狙っていたゴラン・ドラギッチ(Goran Dragić)が46位でデトロイトに指名されるかもしれないという情報を聞きつけたため、翌年の二巡目指名権とセットで、更に現金までつけるという破格の条件でスパーズへとトレード。ドラギッチにナッシュの控えを任せる意図だけでなく、将来サンズをひっぱるPGとなることを期待していたのはこのトレードから明らか。サンズフロントは「今年のドラフトでデリック・ローズに次ぐPG」と絶賛し(*)、後日契約が決まった時もミッドレベル例外条項の一部を用いて一巡目並みの契約を結んだほど、その期待は大きいものだった。
*ちなみに他チームがドラギッチを避けた理由のひとつには、スロベニアのチームとの契約が残っており、更に法的問題もあったためと言われている。

  FAではドラギッチにミッドレベルの一部を使ってしまったため、補強の余地はほとんどなし。ギリチェックが抜けてしまった穴にウォーリアーズからSFのマット・バーンズを獲得したのがほぼ唯一と言ってもいい大きな補強で、エネルギッシュなプレーが期待されていた。怪我に備えてインサイドをかためるために、他にDリーグからルイス・アムンドソン(Louis Amundson)を獲得して補強は終了。トレードで大きな動きをすることもなく、ローテーションの中心メンバーであるナッシュ、ベル、ヒル、アマレ、シャック、バルボサ、ディアウの7人は動かさずに2008-09シーズンを迎えた。最強と噂された2007と比較すると、減ったのはカート・トーマスとマリオン、増えたのはシャックとバーンズ。シャックが期待通りに働けば、プレースタイルはともかく戦力的にはそこまで大きくは変わっていないのではないか。ディフェンスさえあれば…とも思われた。


-SEASON (Oct-Feb)-

  開幕してみると、そう悪くない成績でシーズンスタート。連戦ではシャックを休ませているにもかかわらず11月の終わりの時点で西では2位、11勝5敗ならシャックや戦略がまだチームに噛み合いきっていないだけで、これからシーズンが進むにつれ強豪相手にも安定して勝てるようになるだろうという予測もこの頃はあった。チームからは若干の不協和音も漏れ聞こえてはいたものの、2006-07シーズンにもあったことだ。しかし、11月の最後からヒート、ネッツ、ホーネッツ、マブスへと痛恨の4連敗を喫し、いきなり順位も9位まで急降下。しかも大差の負けがあまりにも多い。これを機にフロントが動いた。

To Charlotte To Phoenix
Raja Bell
Boris Diaw
⇔  Jason Richardson
Jared Dudley


  そもそもディアウはアマレが怪我をした年にFAとなった。このため彼は現在の控えPFという役割にしては契約額が高すぎた(年9ミリオン)ため、放出はある程度仕方がない。実際契約した年ほど活躍していたわけではないうえにディフェンス面に少々難があった。一方のベルはポーター体制に反発しており、ラン&ガンでなくなったチームに魅力を感じておらず、ケミストリー悪化の原因となっていたというのが放出の理由。何となく勝ちきれない、リードしていてもそのリードを守りきれないという閉塞感から脱するためのトレードだろうが、当然のごとく不安はファンの間を駆け巡った。「ディアウはともかく、ディフェンス重視の体制にしておいてスコアラー(リチャードソン)をストッパー(ベル)の代わりに入れるとは…?しかもリチャードソンの契約の大きさは…?」。当然の疑問である。ディフェンス重視とサラリー圧縮という、近年のサンズの方針とは真逆のトレード。しかし、最大の問題点は別のところにあった。キャプテンのナッシュが、親友のベルがトレードされたことに痛くショックを受けてしまう。「自分がトレードされたようだ」とメディアに漏らすほど、ダラス時代から親友のベルとの離別はこたえたようだった。しばらくの間チームメイトとの会話も少なくなり、相次ぐトレードの噂にシャックの個人行動。ただでさえケミストリーが失われていたチームからは、笑顔が消えた。

  滑り出しこそオーランドから勝ち星をあげて好調だったサンズ、しかしその後1月に入るとリードを守りきれないという、以前までもあった持病が悪化。ハーフコートバスケットを重視した戦略を採っているにもかかわらず失点は増え、ペースが落ちたことにより得点は減った。シャックは活躍していたが、そもそもFG%はかなりいいチーム。シャックがインサイドで活躍したところで大してオフェンスの効率は変わらず、むしろ彼の加入によってかみ合わなくなっているチームのリズムの方がよほど問題だった。一向に減る気配のないターンオーバー。とれないリバウンド。貧弱なベンチ。来る日も来る日も逆転負け。プレーオフで勝ち抜き優勝するために構成されたチームは、気づけばケガ人に悩まされているジャズとプレーオフ参加を争うような位置にいた。もうシャックもフル稼働しているにもかかわらず、上位チームに勝てないばかりか、下位チームからまで取りこぼすようになった。1月、サンズの話題の中心は地元開催のオールスターではなく専らアマレのトレードの噂話、そしてポーターの去就についてだった。ポーター自身はテンポをもう少し上げようとしていたが、シャックがリバウンド後アップテンポになるのを嫌ってしばらくボールを離さないという事実に加え、そもそも全力疾走しか知らなかったチームに調整はできない。結果としてターンオーバーが増えるばかりの中途半端に走るチームが出来上がってしまった。そればかりか選手からの信頼も薄く、アマレは事あるごとに反発し、若手は安定しないプレータイムに苛立っていた。


-SEASON (Feb-Apr)-

  地元開催のオールスターにはアマレ、シャックがそれぞれベンチとして出場し会場を盛り上げた。アマレは大活躍し、シャックはオールスターMVPをコービーと共に受賞、過去にあった二人の間の溝は埋まるという感動のラストが待っていた。しかし彼のチームはそれどころではなく、遂に大きく方針を転換せざるを得ない時期と見て、オールスターの終了後サンズは動いた。「地元開催のオールスター期間中に解雇はマズイ」と言われていたポーターがようやく解雇され、唯一ダントーニ時代からコーチとして残っているジェントリーを暫定HCに任命。目的は明らかで、ジェントリーは就任早々アップテンポなオフェンスに戻すことを宣言。いくら成績が落ち込んでいるとはいえ、選手たちの間では否応無しに期待は高まった。新加入のメンバーの中にもウォーリアーズでトップシードのマブスをラン&ガンで倒したJ-Richとバーンズがいて、アマレ、バルボサ、そして何と言ってもこのスタイルでPGながら2回もMVPを受賞したナッシュがいるのである。バーンズは外も撃てるロールプレーヤーとして働けるだろうし、J-Richがスコアラーとしての真価を発揮できるかもしれない。ローテーションの中でラン&ガン向きでないのはほぼシャックだけ。だが、当初のダントーニ政権下で目指した、「リバウンドをビッグマンが取ってPGにパス、後は走ってディフェンスがセットされる前にシュートを入れる。ダメなら後から来たビッグマンがインサイドで点を取る」というスタイルは、80年代のレイカーズがNBAの頂点を制したバスケ。このスタイルを、サンズは方針転換から半年と少しで再び目指すことになった。もしかしたら、という期待はファンや評論家の中にも少なからずあった。

  事実選手は水を得た魚のようになり、走りに走った。ポーター解雇後の3試合はいずれも140点オーバー、20点差以上のブローアウト勝ち。所詮低迷しているチームが相手とはいえそんなチームにも負けていたサンズにとって、NBA史上でもほとんどない3試合連続140点越えは明るい材料。走れば、走りさえすればまだやれる―だが、ポーター解雇後2戦目のクリッパーズ戦、シーズン前にも目の不調を訴えていたアマレの目に相手の指が入ってしまった。診断は「網膜剥離」。最悪引退もありうる重病だが、幸いにして治る程度のもの。しかし、離脱期間は半年以上。シーズン開始当初はゴーグルをつけていたのだが、不快感を理由に外していた。この不注意な行動が、彼のシーズン、そしてサンズのこのシーズンにとって致命的なダメージとなった。

  それでもアップテンポならナッシュ、スローペースならシャックを中心として、弱小チームばかりかレイカーズからも一度は勝ち星をあげたサンズ。アマレの離脱によって危機感が芽生え、ようやくチームがまとまりかけているかのように見えた。しかし、3月のアウェー4連戦(マジック、ヒート、ロケッツ、スパーズ)を全敗、ホームでプレーオフを直接争うマブス、更にキャブスに敗北を喫し、計6連敗。マリオンやディアウのいないサンズにアマレの代役を引き受けられる者はもはやなく、ヒルが代わりにPFにつかねばならなかった。ヒルではナッシュのバスケの生命線である速い展開からのピック&ロールが思うようにかけられない。スモールラインナップだが走れないサンズと、ケガ人が復帰してようやくメンバーが揃い連勝を重ねているジャズ、健康なキッド・ノビツキーが活躍しているマブス―この時点で結末を見ようとした者はいない。だが、それは誰の目にも明らかだった。

  ホーム中心の日程で6連勝をあげ、一時は8位に迫ったもののそもそもプレーオフに参加することが目標のチームではない。シーズン開幕当初は「優勝するチーム」に入ったはずの選手たちのモチベーションは、既に残っていなかった。3月末のロード3連戦、キングス相手にすら黒星を喫し、4月は6勝2敗と勝ち越したものの、8位まで落ちてきていた肝心のダラスとの直接対決に敗れてプレーオフは実質望みなし。プレーオフまで2ゲーム差の9位、46勝36敗。方針の転換が2度もあったシーズンでは若手が育つはずもなく、直近の数年で最悪のシーズンは目標さえ定まらないまま過ぎていき、ほとんど何の収穫もないまま、4月もまだ半ばで終わりを告げた。

  シャック、そしてポーターが合っていなかったのは誰の目にも明らか。「走るために作られたチーム」の中に、巨大なセンターとハーフコート重視のコーチを入れればどうなるか―チャンピオン・リングへの希望と共にシーズンに入ったサンズには、目指したものとは程遠い結果と、あまりにも長いシーズンオフが待っていた。

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